知里幸恵講座4回目  ✏️ ヌプルぺッ〜花のお家 樹のお家 池のお家

アイヌ三代歌人の一人である違星北斗が幸恵の生家を初めて訪れた時のことを大正15年7月11日の日記に。
「知里幸恵様のご両親とお宅とをはじめて知った。花のお家 樹のお家 池のお家として印象深いものだった。景色のよい所に住んで居られる此のお家の人達は羨ましい」と書いています。北斗の目に映った幸恵の生家は、コタンの原風景を思わせる景色だったのかもしれません。
1922年の企画展に真志保の娘さんが手紙を寄せて下さいました。その中には、父は門柱代わりに豆林檎の木、生垣にはグスベリ(グースベリー)を植えていて祖父と同じように築山も作っていた。と書かれていました。
シロカニペNo.21 には、 相原亮平さん(登別市登別本町2丁目)が「縁側と床の間のある和風の家にこだわり、庭には池を作り築山には石灯籠をたてていました〜」と高吉さんとの思い出を載せていて、それが現在の知里森舎の森として残っている所だそうです。
講座の最後は、記念館が建っている登別周辺の航空写真を年代別に見て、高吉さんが所有していたと思われる土地の情報を拾い集め…
そして次回の「ペナウンサキぺナイ」の講座に続いていきます。
昔から、この恵み豊かな大地で誰もが心豊かに暮らせることを、誰よりも願いながら生きていたのがアイヌの人たちだったのではないでしょうか。